私の場合は長男の命が宿ったときでした

これまでに感情が大きく動いた場面は3つあります。

1つ目は大好きな人と朝食買いに行くエレベーターの中。
2つ目は長男がお腹にいることが判明した時。
3つ目は親族でのハワイ旅行で突然恍惚感に満たされたとき。

この中でも一番の至福感を感じた「新たな命の誕生」
について書いてみたいと思います。

新たな生命が宿った。
それが判明したときすべてが輝いて見えたのを覚えています。
まるで恋しているときのように、私を取り巻くすべての意味が変わりました。

木漏れ日や鳥の鳴き声、風の音、、
この世に存在するすべてのものが愛おしく
同じこの時に存在してくれてありがとう!!奇跡だ〜〜!!
と叫びたい。

そんな気持ちになりました。

突然なにか大きな使命を神様から授かったような、、
そんな壮大な気持ちに包まれたのです。

結婚するまではバリバリ仕事をしていました

大手企業で成績をあげ幹部登用。
バブリーなご時世で、成績が上がるたびに、海外に行かせてもらいました。

今思うと鼻の先に人参をぶら下げられて走る日々。
達成してやったー!と思ってもまた新たな目標が掲げられる。
そんな日々にいつしか疲れて、結婚を機に退職したのです。

命が宿る感覚というのは仕事をしているときに喜びだった
何かをしたから与えられるというような条件付きのものではなくて
「私はここに存在していいんだ」と私のすべてを許された感覚。
なにもしなくても私には価値がある。
大いなるなにかと繋がった感覚でした。

その時の私には、まるで理屈で説明できないとても大きな愛に包まれた
安心感とこれから先の未来への道がキラキラと光輝いてみえました。

昨日までなかったものがこの世に誕生する奇跡

それはきっと誰にとっても喜びなのではないかと思うのです。
なぜなら私たちはみんなそうして生まれてきたから。

未だ解明されていない神秘、それは「生」と「死」
私たちはどこからきてどこに帰っていくのでしょう。

生命が宿ったときに感じたのは
天と地と時間といくつもの奇跡が重なり降りてきてくれた奇跡。

この子は私の子ではない。神なのか?宇宙なのか?わかりませんが
人間の英知を超えた大いなる力を感じました。

生まれてきた長男は日々顔が変化していきました。
おじいちゃん、おばあちゃん、パパ、ママ、、
まるですごい速さで時空を旅しているようでした。

壮大な命のバトン。
子供を産む役割の人も、産まない役割の人もどちらも使命。
この世は1つの有機体でその中で命という細胞が生まれては消えていく。

人間はみな壮大な生命活動の1部分でしかないのかもしれません。
だとしたらみんなで「命」を喜び、育んでいける、
そんな社会になったらいいなと思っています。